2007/12/30

港の原風景──鞆の浦(とものうら)、走島

2007.12.28-29
【広島県】

 鞆の浦─安国寺(Map)


 初日は雨です。じっとしてるのも悔しいので、傘を差しながら歩き回っておりました。カメラなんか出さないと思っていたのですが、どうにも撮りたくなって傘を肩に引っかけ格闘しておりました。終えてみればリュックは中までずぶ濡れに……
 でも翌日の下写真と比べれば、しっとり感があるのでは? と自己満足しています。
 鞆は二度目ですが、この町並みの雰囲気はとても好きです。生活の場なので、みんな当たり前のように車を止めていたりしますからそれを避けのに苦労します。でも、看板は避けられませんね。



 ささやき橋(Map)


 ここは「瀬戸内海のへそ」のような場所で、潮の干満の差は4mにもなるため昔は潮の満ち引きに合わせて航海をしていたそうです。それゆえ「潮待ち」に寄港する船舶が多く、栄えてきたという地理的な恩恵があった場所柄その歴史は古く、大陸との交流が盛んになったころから続いているそうです。そんな土地ゆえ、様々な物語が生まれたと思われますが、それにしても何というネーミングでしょう。
 朝鮮通信使を接待する役人と接待係の女性が、この付近で恋を語り合っているのをとがめられて、抱き合えぬよう後ろ手に縛られ海に沈められたとの逸話が残されています。
 下津井の「まだかな橋」と並び、情景が思い浮かぶような命名と思います。
 この太鼓橋状の微妙なギャップにも車は減速して通過します。ささやきの邪魔をしないように配慮しているかのようにも見え、なかなか粋な構造物に思えてきます。


 沼名前(ぬなくま)神社(Map)


 地元の人々には「祇園さん」と呼ばれ、京都祇園の八坂神社の本社に当たるそうです(旧「鞆祇園宮」)。
 祗園の名はこちらが先だと言いたげで盛んにその名を使っているようですが、「祗園」の由来には釈迦が説法を行った場所にちなむとあるそうなので、神社じゃ関係ないじゃないの? と思いますが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの混乱から生じたモノかも知れませんし、宗教にこだわらない日本文化からすれば大した問題ではないのかも知れません。
 上写真は「力石」というもので境内に並べられていますが、使い方は想像つくと思われます。


 鞆港(Map)


 雨の中、漁から帰ったのか船を片付ける人に声を掛けられました。
 数年前にここに橋を架ける計画があること知りましたが、その方からまだ中止されてないと聞き驚きました。
 上写真左(1日目の雨の中の写真)が「とうろどう」(常夜灯)で、上述の歴史を見守ってきたとされる灯台です。
 計画では、この港を埋め立ててとうろどうのすぐ脇に橋が作られるのだそうです。
 翌日、近くのカフェ(田淵屋)のママからも話しを聞いて、どうしたもんだかという気分にさせられましたが、反対陣営を応援する以外に出来ることは無いという気がしています。
 そこで耳にしたのが、宮崎駿さんの次回作『崖の上のポニョ』はここ鞆を舞台にした作品とのことで(全然知りませんでした)、「もう少し早く公開してくれれば」とも思いましたが、まだ分かりませんし世論が高まればと期待するばかりです。

 上写真右の白い蔵は「いろは丸展示館」で、坂本龍馬の海援隊の船が鞆の浦沖で衝突沈没したことに関する資料館です。
 本当に彼はどこで何をやっても客寄せパンダになって、それを成立させてしまうスーパースターであること再認識させられました。


 対潮楼(福禅寺)(Map)


 写真を目にした方も多いと思われる名勝と言われる景色ですが、やはりいい景色です。
 前述の朝鮮通信使の上官たちはここに宿泊したそうで、「対潮楼」の名も彼らによるものだそうです。
 上写真奧に見える山が仙酔島で、昨晩の宿がある島です。
 下写真は弁天島。干されているのはサヨリ。


 写真には無いのですが、上述の仙酔島にある宿も今回訪問の動機の大きな要因のひとつでした。
 「人生感が変わる宿 ここから」という妙な名前で前回も泊まった宿です。サービス過剰と言うか押しつけがうっとうしいコンセプトが嫌いだったのですが、料理だけは鯛づくしでこれでもか! との責めに、食べきれなくてゴメンナサイと頭を下げた思いがあり、もう一度の気持ちがとてもありました。
 しかし、方針が変わったようで鯛は美味しいのですが普通の料理に変わってしまい、すっかり肩透かしを食わされました。
 ですが江戸風呂なる、蒸し風呂〜湯船〜蒸し風呂〜海! なんてものに入らせてもらいました。冬の海に入ったのなんか初めてで、足先などはしびれてきて歩けるのかと不安になるほど冷たかった……

 塩分濃度を高めた風呂にプカプカ浮いたりするのも気持ちよく、1時間ちょっとですが楽しめましたし、クセになるかも知れません。
 ポロシャツ、短パンを貸してくれるので気軽に立ち寄れると思います。














 医王寺(Map)


 ロケーションが素晴らしく、この鐘楼の海側にベンチが据えてあるサービス精神にも感激しました。
 昔の日本はどこでもそうであったと思いますが、年末にお墓の掃除とお花を供える習慣が健在で、片付けられたお供えの山が人出の多さを物語っていました。
 若者たちもちゃんと参加している様子に、これが文化だよなぁと、近ごろ墓参りにも行ってないことを後ろめたくも感じさせられました。



 4mの干満の差を見越して干しているのでしょうが、何とも大胆な物干し場です。
 土地が狭いというのは理解できますが、寝る時しょっぱくならないのでしょうか?
 体に染みこんだ磯の香りがする方がよく眠れるんだ、ということであれば、ちょっとうらやましい気もしてきます……


 「もう一度行きたい瀬戸内海の町」として印象に残る素敵な港町ですが、再訪してまたポイントアップしました。
 こんな風景を眺めていると帰りを急ぐ理由はないと、長〜いいっぷくをしておりました。
 この日はおだやかな日和で、助かりました。

 まずは、道路建設反対の声を上げていただき、『崖の上のポニョ』を観てもらって、機会があったらいらしてください!
 鯛、美味しいよ!


 走島(Map)

 12月29日というタイミングが実に良かった。
 と思ったのは、多くの人が帰郷する時に居合わせることができたということです。
 と言うのも、同じ船で島に降り立った久しぶりに帰郷した人たちが、近所の親せきなどにあいさつしながら家路に向かう様子を見られたからです。「おぉ、久しぶり、元気そうじゃないか!」の声が、あちこちから聞こえてきました。
 狭い路地のような道しかないので玄関が路地に面しており、あいさつしている脇を通る格好になり、そんな会話も耳に入ってしまうような集落です。
 そんな、島の多くの家が、ほのぼのとした空気に包まれているように感じられ、いい時に来たもんだ、と感じられました。

 この走島も他の瀬戸内の小島同様、平らな土地はほとんどありません。したがって、必然的に生活の糧は海に求めることになります。
 ここは昔村上水軍の根城だったそうで、村上神社があったり村上姓の表札が多かったりする土地柄ですから、海の仕事を生業としてきたと思われますが、結構裕福な印象があります。土地は傾斜地+狭いのですが、新築のキレイな家が目立ちました。
 鞆とは状況が違うので比較出来ませんが、大規模な埋め立て工事をしていました。その気持ちは理解できるのですが、以前に埋め立てた土地が下写真のように網の修復に使われていて道が通れないのですから(結構そのように道路が占拠されている場所が多い)、新しい土地もどんな使い道になるのやら、と思ってしまいます。
 これチクるわけではありませんが、この島の軽自動車の多くはナンバープレート付けていません。ここまで徹底されていると何か理由があるのかと思いますが、まさかこの島の道路は全部私道なのだろうか?(1本しかありませんが)と思ったりもします。

 帰りの船では「今日は一番の船で来て、お墓の掃除やって、あっちこっち回ったから疲れちゃったよー」の声を耳にしました。
 島を離れていても年末にはきちんとしている人がいればこの島は大丈夫だろうと思えてきますし、それが文化なのだと感じました。




 初日は雨がザンザン降りでどうなることかと思いましたが、結構盛りだくさんになりました。

 今年一年よく遊びました。目標以上だったと思います。
 さぁ、来年も! だなんて、いつまでも遊んでいられるとも思えないので、日々からスキあらば! との精進の積み重ねが大切と思っています。

2007/12/23

「沼島の春」とは?──淡路島、沼島

2007.12.22-23
【兵庫県】

 明石海峡大橋(Map)


 この秋からの散策は天候に恵まれていたのですが、本日は諦めモードです。橋の上からも何も見えませんでした。そんな日はサッサと切り替えて「淡路牛」をご馳走になった後は、温泉に入ろう!
 五色温泉(本日は冬至のゆず湯でした)と、宿の南淡(なんだん)温泉(雨降りでも、よしずの屋根から落ちてくるしずくが火照った体に心地いい刺激です)。
 この日は南淡路ロイヤルホテルといって、明石とは反対側の大鳴門橋のたもとにあって、最大900人収容と言う大きなホテルに泊まりました。そこの「鳴門寿司」で、注文後にいけすから揚げてさばいてくれるサバを食べさせてもらいました。サバ自体、生を扱うお店は少ないのに、そういうモノを食べられるお店は希少だと思います。養殖ものだそうで、エサの関係で天然物より甘いとのことですが、いいものを食べさせてもらいました。サバ好きの方は是非!
 大将との話しも弾みました。


 沼島(ぬしま)(Map)


 ここは瀬戸内海ではないのですが、入れさせてもらいます。(この波の感じも瀬戸内ではないのですが……)
 日本書紀に出てくる、いざなぎのみこと、いざなみのみことの神話の中で最初に作られた「おのころ島」との伝説が伝わる島だそうです。
 近ごろは釣り客が多いと聞いてましたが、きっと何かテレビでやったんじゃないかと思うのですが、観光のおっちゃんおばちゃんがいるんだよね。こんな何にもない島で(大変失礼!)観光客を見かけるってあまりないのですが。
 昨晩の寿司屋のおばちゃんから聞いたのですが、昔テレビで過疎地のお嫁さんを募集する番組があって、そこでの成功例の代名詞となった「沼島の春」として全国的に有名になったとのことです。いつ頃の話しなんでしょうねぇ?
 ──1993年からシリーズ化された番組のタイトルだそうです。何だい、すっごく有名なんじゃないか! 知らないのはわたしだけか……(何だか無知によるギャップの大きさがあまりにおかしいので、前段の妙なコメントも修正せずにおきます)
 冬休みに入ったせいもあるのか、子どもの姿はあまり見かけませんでしたが、小・中学校が一緒になった島の規模からすると結構立派な校舎と室内運動場(体育館)がありました。教育には力を入れている自治体のようで、子どもを育てる場としても恵まれていると思われるし「沼島の春」がまた訪れますことを!
 帰りの船が行っちゃったんで、時間つぶしに(と言うか楽しいんですがね)こんな海を眺めて1時間程ボケーッと。今日は本当に暖かい陽気で助かりました……



 生石(おいし)の鼻(Map)


 ここまでの道の途中に「水仙(スイセン)郷」が2つほどありましたが、どちらも見ごろはまだ先のようでした。
 雑誌などの写真で、斜面に咲く花のバックは海原、というの見たことありませんか? とてもダイナミックな写真で、こんなの撮りたいと思っていたのですが、その理由が分かりました。
 ものすごい急斜面にスイセンが生えていて、その斜面をつづら折れになった歩道が続いています。海を向いて花の写真を撮れば、その先はガケなので何も視界には入らないのです。
 キレイな時期ならいいでしょうが、あれを登るのかと思うと何かため息が出るようなガケ道でした。
 生石の鼻とは、淡路島南東の岬で紀淡海峡を挟んで和歌山県を目の前に臨める場所です。(上写真は沼島方面)
 太平洋から大阪湾への入り口となるので、江戸末期に砲台が築かれて以降、国防の要衝として監視ポイントだったようで、現在も自衛隊の管理地であるようです。
 右写真奧は友ヶ島で和歌山県になります。次はあそこかな!? お楽しみに。

 海に帰ったという感じでしょうか?
 海の写真ばかりで本人は満足なのですが、いい写真ありませんね……

2007/08/16

とりあえず「瀬戸内海」終了です。

2003.08〜2007.08
【香川県】【愛媛県】【山口県】【広島県】【岡山県】【兵庫県】

 瀬戸内海(Map)

 2003年夏の小豆島から始まり、この07年夏の家島諸島で、とりあえず瀬戸内海の主な島は行ったことになるので、終了ということになります。
 島好きのわたしとしては、取りかかる前は「ごちそうは、最後に取っておこう」的な考えで、行くときには一気に! なんて思っていましたが、かじり始めたら予想以上の楽しさと奥深さに、ドップリと浸り込んでしまいました。
 何が良かったかって、すべてに当てはまると思える「おおらかさ」に尽きると思います。
 人は環境に育てられると言うのか、瀬戸内の海のおだやかさに人格が育まれているのではないかとの思いは、確信に近いものとして残りました。
 関東育ちのわたしには「ありがとう」の言葉(がの音が上がる発音)の自然な響きに心動かされ、しぜんと自分でも発するようになった尾道、たった一人の宿泊客のために、二人も管理についてくれて「星を見に外に出たいので懐中電灯貸してもらえませんか」に快く応じてくれた上蒲刈島の「県民の家」の職員の方、など(他はちょっと思い出せなくてスミマセン)色々な方々のお世話になったことを、とりあえずは周囲に伝えておかなければ、恩に報えないと思っています。

 印象に残っているところとしては
●しまなみ海道&尾道(範囲が広くてずるいのですが)
 また行ってしまうと思います。大三島の宿の食事は忘れられません。
●鞆(とも)の浦
 昔から瀬戸内航路の要であったのですが、現在それをたどってみても「へそ」であり続けている町で、瀬戸内の港町を巡る機会があれば、この港の重要性が理解できるのではないか、と思います。
●大崎上・下島、上・下蒲刈島
 瀬戸内を行き来する船を眺めながらの展望露天風呂は、本当に時間を忘れさせてくれました。

 地図が好きなので、そこにプロットしていくことは結構好きなのですが、自分でも「こりゃバカだね!」と呆れる数(59島)になっていることには、ちょっと驚きました……
 それでも、まだまだ行けなかった島、行きたいと思っている島はあります。
 きっと、地理的に近い場所に住んでいるうちに行っておこうと思うでしょうから、時々あると思います。(だって、飛行機代がかからないのは大きいですよ!)
 現実として、瀬戸内が終わった時点で北に目を向けると(南から北上してきたので)、もうそれほど島は残されていないんです。これからどうしようか? というのが本音です。
 また、新たな楽しみを見つけましょう!
 そんなことを考えることが、実は一番楽しかったりしますから……

2007/08/15

身を削って豊かになった──家島諸島

2007.08.12
【兵庫県】

 家島(Map)


 以前訪れた淡路島から見えた島影に「あんなところにも島があるんだ」と、その存在を知りました。
 姫路港から高速船で30分程度の場所に家島諸島はあります。
 その中心となるのが家島で、瀬戸の小島は平地は限られているのですが、その狭い場所に5階建て程度の小ぎれいなビルが多く建っているのに驚きました。
 裕福な島なんだろうなあというのが第一印象です。
 大きな入り江が天然の船だまりとなっていて、大きな砂利運搬船が数多く係留されており、造船所もあります。その入り江の奧には網を引く、瀬戸内にしては大きめの漁船が係留されています。
 砂利運搬船は、今回行けなかった西島と男鹿(たんが)島から採石した砂利を、主に関西国際空港の埋め立てのために運んでいたそうです。
 ではその砂利は島のどこから持ってきたのかといえば山を削って運び出したわけで、そのありさまは異様としか言いようがありません。


 上は先日行った赤穂御崎(あこうみさき)からの撮った西島の写真です。
 行ってみて面白いことに気付きました。島への船が着く港付近からは、そんな採石場の山肌が見えないように気をつかっているようなのです。
 島外からのこのアングルはもちろん対象外のようですし、どう繕おうが姫路の港からもその異様な姿を見て取れる男鹿島ですらも、船着き場付近の海水浴場からは、その姿が見えないように山を削っているのです。
 それを、頭隠して尻隠さずと受け取るのか、来島客への配慮と取るのかは、訪れた人が感じればいいと言われればそれまでなのですが……

 島を売ってしまった島の民は、魂を売ってしまったとも言えるのではないか、とすら思えました。
 山が無くなるまで削り続けて、無くなったらその先はどうするのだろうか?
 そこを造成して、別荘でも建てて売りに出そうとでも考えているのだろうか?
 そこまでやり遂げたら、逆にあっぱれと言えるかも知れません。

 漁業も盛んなようで、エビ(干した大きさが親指と人差し指で輪を作ったくらいで、皮をむいて食べていました)やジャコ(チリメン)の網や、ヒラメ、タイの養殖や、海苔に釣り堀までやっており、何もかもうまくいっている島という印象があります。
 きっと昔から漁業で豊かだったと思われるのですが、そんな豊かさから「山を削って金にしよう」などという都会的な発想が生まれたのではないかと思われます。
 その日は姫路に泊まり、寿司屋のオヤジからそんな背景談を聞かせてもらいました。
 私「お盆のせいかも知れないが、子どもが多かった気がする」
 おやじ「いや、普段から多いんだよ。あの島には、若いのがみんな帰っていくんだよ。高校からはこっちに来るんだが、金持ちは姫路に家を持ってて、こっちの家から通うのがいるらしい。昔は水が不便で、水よりビールの方が安かったらしいし、風呂も大変だったらしいが、水を引いてからは不自由が無くなったみたいだな」。

 なるほど、キレイな家が多かったし、高速船も新造船で豪華だし、埋め立て地に立派な公共施設も建っている。まあ、道路が狭いのは仕方ないところか?
 島の活性化を実現しているのに、何か文句あるの?
 そんな潔さと言うか、大胆さに舌を巻く思いがしたのですが、これまでも「島の活性化実現に知恵を絞ろうよ!」と思ってきたわたしも、代替の提案が出来ないのであれば文句を言う資格はないと、詰め寄られた思いがしました。
 豊かにならなければ活性化しないし、若者は戻らない。では、豊かになるためにどうしたらいいのか?
 今の日本は「それは違うだろう」などと言うことなど出来ない状況になりつつある、とも思えます。


 話変わって、鯛は何して食べても(刺身、焼き物、煮物、出汁を取っても)旨いよなあ!
 瀬戸内はやはり鯛でしょう! 瀬戸内へ行くようになってから、鯛が大好きになりました。
 おやじ「この辺りは流れも速いし、潮が濃いといいますね。いい漁場なんですよ」
 そういう自慢ってうらやましい限りですが、それだけを頼りに生きていくことはこれから難しいのでしょうか?


2007.08.13

 坊勢(ぼうぜ)島(Map)


 ここも豊かな島です。
 その証しとして、島中どこでもミニバイクの往来が途切れないことに驚きました。
 普通の小島では、人の往来すら滅多になくたまにすれ違うのはお年寄りばかりなのに、この島では老若男女がバイクで「ブンブン」走り回っています。
 ──まあ、その乗り方がスゴイのよ! このブログはマイナーだから大丈夫だと思うけど(珍しいからと書いてしまってひんしゅくを買うことが、ままあるそうです)、ミニバイクに3人4人乗りは当たり前で走っています。道も狭いし、スピードも出ないし、島での現実に即しているとは思えますが、気をつけてね!
 そんな活気が「生きている島」の証しなのだと思いました。
 食事するところもカラオケ店もあるしね。埋め立て地に整備されたグラウンドで中学の野球部が練習しているし、中学の校庭では女子が何十人もテニスの練習をやっているし、小島の風景じゃないとすら思いました。
 ただ、子どもたちも島の子どもらしさと思える素朴さに欠けていたことは、ちょっと残念な印象があります。
 小島とはいえ、裕福な場所では素朴さとは失われてしまうのかと、これは新たなテーマとして頭の片隅に残りそうです。


 上は漁船の舳先(へさき)に映る海面で反射した太陽光。
 下は、この辺りの漁船の舳先に付けられた家紋等をあしらった装飾です。
 スゴイものはキンキラキンだったりして、いわゆるトラックの飾りのようなもの、なんて言ったら怒られるか……




 姫路城(Map)


 熱中症になりそうだったので、男鹿(たんが)島をやめて姫路に戻りました。家に帰っても、体が火照っていてバテていたようなので、やめて正解だったと思っています。
 でも、こっちの方ががぜん暑いんじゃないの?(日陰や、喫茶店がある分助かりましたが)と、帰って調べたら、家島の最高気温29度、姫路33度でした。やはり4度の違いは大きいですよ。島では風が結構あって、楽でしたもの(瀬戸内の夏、少しはイメージ改善されました)。
 このお城は、大部分が昔のままに残されていることから人気が高いこと、良く理解できました。しかし、お城を丸々保存するってことは相当な財政力が必要であるだろうと、昔の藩主や姫路市に対して変な(?)感心をしてしまいました。まあ、国宝ですから国のお金も出ていると思われますが、最もサイズの大きな国宝なのではないでしょうか。

 昨晩泊まったホテルに外国人観光客が大勢いて驚きました、世界遺産恐るべし! 海外の観光客を呼ぶには、世界遺産のお墨付きが威力を発揮するんですね。
 逆にこれからは、世界遺産のお墨付きがないところには海外からの人は来てくれないということにもなるわけで、観光都市って大変ですね。(ホテルの朝食で、ココアは無いのか? と聞いてる外人いましたから、ホテルのサービスもグローバルを目指さないといけませんしね……)


 上の場所は、近くで説明していた人が盛んに「遠山の金さんの撮影に使われた場所なんです」と語っていました。
 なるほど時代劇に出てきそうな光景です。

2007/07/29

島の活性化策二題噺:家と道──日生諸島

2007.07.24
【岡山県】

 頭島(Map)


 兵庫県との県境に近い日生(ひなさ)港から旅客船で渡る群島で、その中でも頭(かしら)島が最も人口の多い島になります。
 周囲の島に比べれば比較的平坦ですが、それでも容赦のない坂道ですから展望台に立つころには、ゼイゼイの汗だくです。
 たぬき山展望台(3階建てくらいの建造物がある)に登ると、いい具合に風が吹いていて気持ちよかったのでしょう、20分くらい昼寝しちゃいました。
 砂浜ではしゃいでいた高校生くらいのグループの奇声が、山の上まで聞こえてくるほど静かな島です。
 そんな声や、鳥の声を子守唄に…… あぁ気持ちよかったー。そんな、もうおっさんやで!
 上の写真は頭島の東にある鴻(こう)島に並ぶ「巣箱」(住宅・別荘)群です(洋上に浮かぶのはカキの養殖棚)。
 すごいでしょ、ここも牛窓と同じでみんな急傾斜地に無理矢理建てられた住宅です(何考えているんだろう?)。
 船の島紹介のアナウンスにもありましたが、最も人口の多い頭島でもほとんどの人は、日生に働きに通っているそうです。
 街自体は大きくはありませんが、日生には造船関連(と思う)の工場もあり働き口はありそうですから、島から通うことも可能と思われます。
 あの巣箱には住みたくありませんが、船で職場に通うっていいかも! とも思います(船が欠航したらもちろん休み!)。
 あなたも、瀬戸内海のオーシャンビューの邸宅から水上タクシーでの通勤・お買い物の生活はいかがですか? 生活のゆとりの質が変わります。
 それは確かかも知れません……


 鹿久居島(Map)


 頭島と鹿久居(かくい)島をつなぐ鹿久居大橋です。
 軽トラックが走れる程度の道しかない頭島と、人家のほとんど無い山ばかりの鹿久居島の間に橋を架けてどうするの? と思いますが、確かに鹿久居島の反対側と陸地はわずかな距離なので比較的容易に橋を架けられるように思えます。その準備でしょうか、鹿久居島では道路建設が進んでいます。
 さて、最も人口の多い頭島の人口はどれくらいでしょうか?
 2004年版SHIMADAS(日本島のガイド)によれば468人だそうです。
 いくら離島振興策でも、それじゃ予算を捻出できないだろう? と思いますが、きっと自治体の皮算用にはあの「巣箱」をたくさん誘致することが含まれているのではないでしょうか?
 そんなことを地域活性化策と受け入れていいのだろうか? もう少し考えて、その先につながるアイディアを焦らずに考えるべきなのではないか、とも思わされました。


 大多府島(Map)


 日生諸島の最も南に位置し、その南側は(距離はあるが)小豆島。最も平坦な島で「このくらいだと助かるわ」が実感です。
 そんな最も航路に近い場所柄なのか、陸地から最も遠いおかげなのか、江戸時代に縁のあるものが残されています。
 写真の六角井戸や、石積みの堤防が残されており、燈籠堂も再建されています。どこも、もう少し見せ方に工夫をすればいいのにと、ちょっと残念という印象もあります。
 とは言え、集落の中は家の軒先の道しかなくて、横を向けば家の中をのぞいているように見えてしまう状況ですから、工夫するにも気を遣う必要があるので、ちっと難しそうです。
 でも、そんな光景に心動かされる人は多いと思います。
 下の写真は、台風で流されたカキ棚の残骸のようですが、放っておいても大丈夫な島のようです。
 ここは少し荒れてますが海水浴場とされている浜です。
 そんな浜には誰も来ない? どうあがいても、この島には橋は架からない?
 だから、何か考えようよ、と思うのですが……

変化した町、変わらない島──前島、牛窓、長島

2007.07.23
【岡山県】

 前島(Map)


 牛窓(うしまど)港の目の前に浮かぶ小島です。
 夏休みということもあり、子どもたちの集団をいくつも目にしました。結構急傾斜の山道が多い島なのですが、そんな遊歩道を元気に歩き回っておりました。
 ビューポイントにはベンチが置かれてあったり、キャンプ場も整備されていたりと受け入れ準備は整っており、そこにイベント(歩こう会的なものと思う)を企画してその参加者が多かったようで、まんまと成功したのでは? そんな印象です。
 でも、上の写真のように(沖縄じゃありません)自分たちで演出できる部分へのセンスの良さが感じられ、好感度の高い島です。



 牛窓(Map)


 ここは日本です。とてもしゃれた風景を切り取れる町になっていました(奧が前島)。
 二十数年前にこの地を訪れたときの夏の印象は、狭い町と山盛りのシャコ(美味しいけれどそうたくさん食べられるモノではない)。そして、クソ暑い上に旅館のクーラーが有料のコイン式で、我慢比べの果てに根負けした者がお金を入れるという劣悪な印象しかなく、夏の瀬戸内海には来るもんじゃないというものでした。
 その点、今回ラッキーだったのは、暑いけれどもとてもドライな暑さで、前回のようなどんよりと空気がよどんで暑さからの逃げ場がない、という状況では無かったということです。覚悟していたけれど、これは助かりました……
 狭かった町も、かなりの面積を埋め立てたようで、写真のようなホテルや結構大きなヨットハーバーなどができていて、沖にはヨットが浮かんでおり、変わるもんだなぁと感心して眺めておりました。
 後ほどの日生諸島編に出てきますが、海に面した急傾斜地に無理矢理地中海風オーシャンビューの別荘だか住宅だかを建てるのが流行のようで、それがまた売れているようです。でも、あんな急傾斜地に作った物件を認めていいのだろうか、と思ってしまいます。
 不動産屋は建てて売ればいいわけですが、地震で被害を被るのは買った人だろうに……


 長島(Map)


 右手に見えるのが長島大橋で、その左が長島になります(舟を撮りたかった訳ではない)。
 その間の水路(海)が、三途の川よりもつらく人を隔てたと思える境界だったのですが、現在でもその性格は変わってないようです。
 長島には、国立ハンセン病療養所が2つあります。
 特別な他意はなく、どんな場所なのか見ておきたいという関心からの行動です。以前に、沖縄の屋我地島(やがち)の療養所に迷い込んだことがあり、拒絶されるものではないとの経験も働いたと思います。
 しかしこの長島には、長島大橋を渡ったところにゲートがありそこで質問したところ「療養所に用事のない者は断っている」とのこと。「入ることも許されないのか?」に「万が一事故が起きると困る」と言われ引き下がることにしたのですが、その門番は「らい病の施設があるんですよ」の言葉を語っていました。
 調べてみれば、禁止された言葉ではなく「差別的な例として使用を避けるようにしている」とあるので、威嚇的にわざと使ったのかも知れませんが、そんなことに気を遣いながらも現実を見ておきたいと考える者にとっては、国が差別を容認しているように受け止められたことに、とてもショックを受けました。
 わたしは、これが現実と受け入れるしかありません。

島は売り物?──直島、豊島

2007.07.22
【岡山県】

 直島(Map)

 集落の中を若者の集団や外人たちが歩き回っています。そんな物好きは自分くらいかと思っていたらこの島は違います。奇妙な小島です。
 美術プロジェクト作品が散在しているだけでは、アートな島とは言えないと思いますが、「著名な」と冠のつく芸術家の力が働いているのでしょうか(安藤忠雄さんの建築物には感銘を受けたことがあります)。
 そんな宣伝の力なのか、観光バスがフェリーに乗ってやってくるのには驚かされました。昨今瀬戸内には大きな橋が次々と架けられ、観光バスがフェリーに乗って訪れる島は小豆島くらいかと思っていましたが、ベネッセ恐るべしです。
 だからと言って、いきなりこんな写真見せられてもワケ分からないですよね。
 主催者言うところの、家プロジェクト「南寺」という作品です。中はギャラリーだそうですが、要予約とか書いてあったので入りませんでした。


 とは言え、そんな作品が散在するのもこの本村地区だけで、あとはベネッセハウス(宿泊施設、美術館)があるだけのことです。その施設の入り口にも門番が立っていて、敷居が高そうな印象を受けそそくさと引き返してきました。
 これらの施設は「誰のためにあるの?」という疑問を持ちました。客寄せのために自治体が誘致したのだと思いますが、それで島のためになっているのだろうか? と強く感じました。
 そりゃ、数軒はアイスクリームなどのお店を出していても、島をあげてのプロジェクトとは感じられないことに違和感を覚えたからです。
 始まったばかりで、これから浸透させていく考えなのかも知れませんが、ちょっと役所の「税収アッププロジェクト」が先行しすぎている印象があります。島民の方はどう感じてらっしゃるのでしょうか? それが重要な問題なのでは、と思いました。


 宇野からフェリーで渡るときに大きな煙突が見えますが、現三菱マテリアルの銅の精錬工場として作られた施設だそうです。
 現在では、豊島の産業廃棄物処理施設を併設して好感度のアップに努めているようです。
 下の写真は、宇野から豊島へ向かうフェリーから見える光景なのですが(直島への観光客の多くは目にしない光景)、何だか秘密工場のように見えました。
 ──本当に、瀬戸内海には表からは無人島かと思われても、岬をかわした瞬間に異様な光景が広がる島が散在しています。便利な場所だから仕方ない面は理解出来るのですが、対峙(たいじ)する度にギョッとさせられます。
 自治体は「そのおかげで発展してきた」と言いますが、外から見ると「島を売り物にしているのでは?」と感じてしまいます。
 「そのおかげで、暮らしやすいんだ」など、住民が恩恵を受けているのであれば外から文句をいうものではないのですが……




2007.07.23
 豊島(Map)


 結構前になると思いますが、「ニュースステーション」で久米宏がさかんにアピールしていた、産業廃棄物の不法投棄が問題になっていた豊島(てしま)の現場です。フェリーからも、トラックやショベルカーの動きは見え、まだまだ作業は続いているようです。
 上陸後、行けるところまで近づいてみましたが、現場手前の岬を隔てた場所にある海水浴場は閉鎖されていました。
 そのもう一つ岬をかわしたところに、下の写真のリゾート的な施設がありちょっと驚きました。
 産廃の不法投棄は迷惑ではあっても、この自治体(小豆島の土庄町)は結構潤っているんじゃないか、という印象を受けました。


 ここでも「島を売り物にしても構わない」と考えているのではないか、と感じてしまいます。
 過疎化・高齢化が進み、発展の可能性を見捨ててしまった自治体の姿勢が、産廃問題を止められなかった原因の一因なのではないか、との印象もあります(何も分かってない、と言われるかも知れません)。
 老人ばかりの税収のない島で(ここでもお金の話しになってしまうのでしょう)、島民の意志を受け入れることはしょせん無理な話である、と自治体に言われてしまえば他に話しの持って行き先はありません。でも、どうしたらいいのでしょうか? これも、地域格差問題に含まれると思います。
 下の写真は王子ヶ浜海水浴場ですが、島民の人たちは昔から親しんできた当たり前にきれいな海岸のそばで暮らしたい、と思っているのではないでしょうか……

教科書の内容を検証したかった──児島湾干拓地

2007.07.22
【岡山県】

 児島湾干拓地(Map)

 前回の岡山紀行の帰り道では時間が無かったので、今回は時間を取らねばと寄ることができました(通り道のついでですが)。
 小学校(?)で教わったと思うのですが「児島湾干拓地」を覚えているでしょうか?
 わたしは、日本は何かとてもすごいことをやっているんだと(八郎潟と共に)、誇らしげに感じていた記憶があります。
 でも近ごろでは、休耕田が増える中で決行された諫早湾の埋め立てを目にして、果たして児島湾や八郎潟は現在でも機能しているのだろうか? ということをこの目で見てみたい気持ちが強くなっていました(下の写真は締め切り堤防上の道路で、背面側にはいわゆるギロチンの水門があります)。


 現在の児島湾の埋め立て地には、稲の緑が一面にどこまでも広がっており、人の手で見事に管理されている田園の光景に圧倒されました。
 ここは人の手で作ったのですから、ある意味理想的な農村の姿を目指していると思われます。
 地区の真ん中に伸びるメインストリートを挟んで民家が並んでいます。その両側には果てしなく広がる水田と、おそらくポンプ等できちんと管理されている灌漑用水路が伸びています。
 現在まで、ここにいくらのお金が掛かって、どれだけの収穫が得られているかの収支についてや、住民の方々の満足度についての知識はありませんが、少なくとも成功例として挙げられるだけの環境整備であることには違いないと感じました。
 でも、そこで生産されるお米についての認知度は決して高くないと思います(コシヒカリなど比較の対象がよくないのか?)。
 国策で始まった事業なので、年貢が高いとか勝手なことは出来ないなどの制限があるのでしょうか(知らないだけなのか?)。
 時代が変わってニーズも変わりましたが、おいしいと思うお米をやりがいを感じながら作ってもらえる環境であって欲しいと思います。
 でもやはりここは、政府の宣伝として教科書に載せられていたと思えてしかたありません。子どものころにすり込まれたことへの反動だろうか……

2007/05/06

下津井──まだかな? は、希望の言葉

2007.05.03

下津井(Map)—岡山県


 瀬戸大橋の本州側のたもとにある港町です。
 写真の祗園神社ですが、今でこそ瀬戸大橋の撮影ポイントになりましたが、橋のない頃の絵は、こんなに落ち着いたところでのんびりしたい、と思わせてくれたことと思います。
 

 下津井のこの橋のエピソードがとても好きになりました。
 港町にある「まだかな橋」の石碑を見たときにまず思い浮かべるのは、奥さんか彼女が漁に出た男の船の帰りを待つ光景だと思います。ですがこれは、漁から帰った港で船の片付け(飲んでいてのかも)をする男に向かって、遊郭の女性たちが「まだあがってこないのかなぁ。はやくお店にいらっしゃいよ!」と声を掛けていたことが由来だそうです。
 まあ、真偽のほどは別としてその情景を思い浮かべると、景気良さそうで活気のあった港町の夕暮れの情景が浮かんできて、そんな想像をしているだけでほのぼのとした気持ちになってきました。


金甲山(Map)—岡山県


 児島半島の金甲山から、次回予定の直島、豊島方面を望んでいます。
左奧が四国の屋島だと思って撮りましたが、何か違う気がしてきました……
 いずれにせよ、Next瀬戸内はこの近辺になると思います。
 これで今回の岡山、瀬戸内は終了です。
 時期は未定ですが、乞うご期待!
 ──だから、それは自分だけだろ!