2007.12.28-29
【広島県】
鞆の浦─安国寺(Map)
初日は雨です。じっとしてるのも悔しいので、傘を差しながら歩き回っておりました。カメラなんか出さないと思っていたのですが、どうにも撮りたくなって傘を肩に引っかけ格闘しておりました。終えてみればリュックは中までずぶ濡れに……
でも翌日の下写真と比べれば、しっとり感があるのでは? と自己満足しています。
鞆は二度目ですが、この町並みの雰囲気はとても好きです。生活の場なので、みんな当たり前のように車を止めていたりしますからそれを避けのに苦労します。でも、看板は避けられませんね。
ささやき橋(Map)
ここは「瀬戸内海のへそ」のような場所で、潮の干満の差は4mにもなるため昔は潮の満ち引きに合わせて航海をしていたそうです。それゆえ「潮待ち」に寄港する船舶が多く、栄えてきたという地理的な恩恵があった場所柄その歴史は古く、大陸との交流が盛んになったころから続いているそうです。そんな土地ゆえ、様々な物語が生まれたと思われますが、それにしても何というネーミングでしょう。
朝鮮通信使を接待する役人と接待係の女性が、この付近で恋を語り合っているのをとがめられて、抱き合えぬよう後ろ手に縛られ海に沈められたとの逸話が残されています。
下津井の「まだかな橋」と並び、情景が思い浮かぶような命名と思います。
この太鼓橋状の微妙なギャップにも車は減速して通過します。ささやきの邪魔をしないように配慮しているかのようにも見え、なかなか粋な構造物に思えてきます。
沼名前(ぬなくま)神社(Map)
地元の人々には「祇園さん」と呼ばれ、京都祇園の八坂神社の本社に当たるそうです(旧「鞆祇園宮」)。
祗園の名はこちらが先だと言いたげで盛んにその名を使っているようですが、「祗園」の由来には釈迦が説法を行った場所にちなむとあるそうなので、神社じゃ関係ないじゃないの? と思いますが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの混乱から生じたモノかも知れませんし、宗教にこだわらない日本文化からすれば大した問題ではないのかも知れません。
上写真は「力石」というもので境内に並べられていますが、使い方は想像つくと思われます。
鞆港(Map)
雨の中、漁から帰ったのか船を片付ける人に声を掛けられました。
数年前にここに橋を架ける計画があること知りましたが、その方からまだ中止されてないと聞き驚きました。
上写真左(1日目の雨の中の写真)が「とうろどう」(常夜灯)で、上述の歴史を見守ってきたとされる灯台です。
計画では、この港を埋め立ててとうろどうのすぐ脇に橋が作られるのだそうです。
翌日、近くのカフェ(田淵屋)のママからも話しを聞いて、どうしたもんだかという気分にさせられましたが、反対陣営を応援する以外に出来ることは無いという気がしています。
そこで耳にしたのが、宮崎駿さんの次回作『崖の上のポニョ』はここ鞆を舞台にした作品とのことで(全然知りませんでした)、「もう少し早く公開してくれれば」とも思いましたが、まだ分かりませんし世論が高まればと期待するばかりです。
上写真右の白い蔵は「いろは丸展示館」で、坂本龍馬の海援隊の船が鞆の浦沖で衝突沈没したことに関する資料館です。
本当に彼はどこで何をやっても客寄せパンダになって、それを成立させてしまうスーパースターであること再認識させられました。
対潮楼(福禅寺)(Map)
写真を目にした方も多いと思われる名勝と言われる景色ですが、やはりいい景色です。
前述の朝鮮通信使の上官たちはここに宿泊したそうで、「対潮楼」の名も彼らによるものだそうです。
上写真奧に見える山が仙酔島で、昨晩の宿がある島です。
下写真は弁天島。干されているのはサヨリ。
写真には無いのですが、上述の仙酔島にある宿も今回訪問の動機の大きな要因のひとつでした。
「人生感が変わる宿 ここから」という妙な名前で前回も泊まった宿です。サービス過剰と言うか押しつけがうっとうしいコンセプトが嫌いだったのですが、料理だけは鯛づくしでこれでもか! との責めに、食べきれなくてゴメンナサイと頭を下げた思いがあり、もう一度の気持ちがとてもありました。
しかし、方針が変わったようで鯛は美味しいのですが普通の料理に変わってしまい、すっかり肩透かしを食わされました。
ですが江戸風呂なる、蒸し風呂〜湯船〜蒸し風呂〜海! なんてものに入らせてもらいました。冬の海に入ったのなんか初めてで、足先などはしびれてきて歩けるのかと不安になるほど冷たかった……
塩分濃度を高めた風呂にプカプカ浮いたりするのも気持ちよく、1時間ちょっとですが楽しめましたし、クセになるかも知れません。
ポロシャツ、短パンを貸してくれるので気軽に立ち寄れると思います。
医王寺(Map)
ロケーションが素晴らしく、この鐘楼の海側にベンチが据えてあるサービス精神にも感激しました。
昔の日本はどこでもそうであったと思いますが、年末にお墓の掃除とお花を供える習慣が健在で、片付けられたお供えの山が人出の多さを物語っていました。
若者たちもちゃんと参加している様子に、これが文化だよなぁと、近ごろ墓参りにも行ってないことを後ろめたくも感じさせられました。
4mの干満の差を見越して干しているのでしょうが、何とも大胆な物干し場です。
土地が狭いというのは理解できますが、寝る時しょっぱくならないのでしょうか?
体に染みこんだ磯の香りがする方がよく眠れるんだ、ということであれば、ちょっとうらやましい気もしてきます……
「もう一度行きたい瀬戸内海の町」として印象に残る素敵な港町ですが、再訪してまたポイントアップしました。
こんな風景を眺めていると帰りを急ぐ理由はないと、長〜いいっぷくをしておりました。
この日はおだやかな日和で、助かりました。
まずは、道路建設反対の声を上げていただき、『崖の上のポニョ』を観てもらって、機会があったらいらしてください!
鯛、美味しいよ!
走島(Map)
12月29日というタイミングが実に良かった。
と思ったのは、多くの人が帰郷する時に居合わせることができたということです。
と言うのも、同じ船で島に降り立った久しぶりに帰郷した人たちが、近所の親せきなどにあいさつしながら家路に向かう様子を見られたからです。「おぉ、久しぶり、元気そうじゃないか!」の声が、あちこちから聞こえてきました。
狭い路地のような道しかないので玄関が路地に面しており、あいさつしている脇を通る格好になり、そんな会話も耳に入ってしまうような集落です。
そんな、島の多くの家が、ほのぼのとした空気に包まれているように感じられ、いい時に来たもんだ、と感じられました。
この走島も他の瀬戸内の小島同様、平らな土地はほとんどありません。したがって、必然的に生活の糧は海に求めることになります。
ここは昔村上水軍の根城だったそうで、村上神社があったり村上姓の表札が多かったりする土地柄ですから、海の仕事を生業としてきたと思われますが、結構裕福な印象があります。土地は傾斜地+狭いのですが、新築のキレイな家が目立ちました。
鞆とは状況が違うので比較出来ませんが、大規模な埋め立て工事をしていました。その気持ちは理解できるのですが、以前に埋め立てた土地が下写真のように網の修復に使われていて道が通れないのですから(結構そのように道路が占拠されている場所が多い)、新しい土地もどんな使い道になるのやら、と思ってしまいます。
これチクるわけではありませんが、この島の軽自動車の多くはナンバープレート付けていません。ここまで徹底されていると何か理由があるのかと思いますが、まさかこの島の道路は全部私道なのだろうか?(1本しかありませんが)と思ったりもします。
帰りの船では「今日は一番の船で来て、お墓の掃除やって、あっちこっち回ったから疲れちゃったよー」の声を耳にしました。
島を離れていても年末にはきちんとしている人がいればこの島は大丈夫だろうと思えてきますし、それが文化なのだと感じました。
初日は雨がザンザン降りでどうなることかと思いましたが、結構盛りだくさんになりました。
今年一年よく遊びました。目標以上だったと思います。
さぁ、来年も! だなんて、いつまでも遊んでいられるとも思えないので、日々からスキあらば! との精進の積み重ねが大切と思っています。
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